衆議院議員 比例近畿ブロック
URL: http://www7.ocn.ne.jp/~nishi-24/
- 2012/5/2 防災・減災対策に全力 - Wed, 02 May 2012
- 3月末に、内閣府の「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が、巨大地震による震度分布・津波高の推計結果を発表した。その内容は衝撃的だった。 「南海トラフ」で発生する地震・津波の最大規模はどうなるのか、新しい想定が示されたのである。
「南海トラフ」とは、駿河湾の沖合いから四国沖南方へ延びる海底の深い溝のことである。非常に大規模な活断層であり、この周辺で東海・東南海・南海地震が発生する。
新想定によると、最大震度はマグニチュード9・1、和歌山県下最大の津波はすさみ町で18・3mに達するなど、これまでの「想定外」の結果であった。
津波のスピードは予想以上に速く、例えば「1mの津波」の最短到達時間を計算したところ、紀伊半島南端では、2分となっている。避難のための時間的な余裕はあまりない。このスピードが信じられなくて、政府の担当者に確認したら、津波の速度は、水深の深いところでは新幹線並みのスピードだという。
津波の高さは、有田市以南の海岸では軒並み10m以上となり、堤防だけでは津波の被害を食い止められない。 もちろん海岸線を縫うように走る国道42号線はズタズタに寸断される。このままでは救援も困難を極めることは必至だ。
政府は、今後さらに、詳細な検討結果を報告するとしているが、和歌山県では、早速、沿岸部の津波高の想定や浸水予測図を作成するため、有識者による検討委員会を立ち上げた。一刻も早い検討と対応を期待したい。
さて、私たち公明党和歌山県本部では、現在、“釜石の奇跡”“稲村の火”の教訓を生かすべく、「防災教育の充実を求める署名」運動を行っている。皆さまにもぜひ賛同をお願いしたい。
また、議員と党員で、県下の全ての小中高校について、防災倉庫、非常用電源、水・食料の備蓄など、避難所としての機能を備えているか、総点検も実施している。
党本部においては、「防災・減災対策チーム政策検討会議」という組織を立ち上げ、私が政策をまとめる任にあたることになった。
地震や津波に強い国土やまちづくりをめざし、建物・堤防・道路・橋など社会基盤の防災・減災機能を強化する「防災・減災ニューディール」事業を10年間で集中的に行うことを検討している。
和歌山にとって、高速道路は、津波からの避難場所となり、国道42号線が寸断されたときの救援ルートとなる。高速道路は、“命の道”なのである。
ハードだけに頼ってもいけない。“釜石の奇跡”は、そのことを教えている。「避難3原則」―①想定にとらわれない、②最善をつくす、③率先避難者になる―をを徹底した防災教育は、皆が学ぶべきだと思う。こうした防災教育の推進をはじめ、地域の防災力の向上など、ソフト面の対策が大変重要である。総合的な対策を講じていきたい。
災害が起こった時には司令塔として役割を果たす「危機管理庁」の創設等についても議論している。
「東海・東南海・南海地震」や「首都直下地震」の発生が懸念されている。防災・減災対策は最優先課題である。全力で取り組んでまいりたい。
(和歌山新報2012/5/2より転載)
- 2012/2/28 郵政見直しで具体案提示 - Tue, 28 Feb 2012
- 公明党は2月22日、郵政民営化法の改正案を発表した。
郵政民営化法は、いわゆる“小泉郵政改革”によって成立した。
現行法では、「株式の売却の度合いに応じて、ゆうちょ銀行・かんぽ生命(金融2社)への規制緩和を行い、新たな事業展開を認めて経営の自由度を増やす」という方針のもと、2017年までに金融2社の株式を全て売却することになっている。
これでは、銀行などの金融サービスが、全国どこでも受けられる「ユニバーサルサービス」として提供される保証がないとして、政権交代後、民主・社民・国民新党から「郵政株式処分停止法案」が提出され、可決した。そのため、金融2社の株式売却は行われていないし、新規事業も認められてない。郵政民営化は、宙に浮いた状態となっている。
郵政事業の経営は厳しさを増しており、郵政見直し問題について、早期の打開が大きな課題となっている。
これまで民主・自民・公明3党の実務者間で10回を超す協議を重ねてきたが、合意に至っていない。膠着(こうちゃく)した状況を打開し、議論をリードすべく、われわれが民主・自民両党に具体案を提示したのである。
私は昨年より、党の郵政改革チームの一員として立案作業に関わってきただけに感無量である。政府が保有する日本郵政株式会社の株式売却益について、われわれは大震災の復興財源として充てることも主張しており、郵政見直し問題に早く答えを出すよう力を尽くしてまいりたい。
公明党の改正案の主な内容は、次の通り。
(1)郵便局会社(窓口事業)と郵便事業会社(集配事業)を一体化して、経営の効率化を図ること。
(2)政府は持ち株会社である「日本郵政株式会社」の株式の3分の1超を保有するが、残りはできるだけ早く売却すること。
(3)ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の株式の売却は、日本郵政株式会社の経営判断に委ねること。
(4)郵便、貯金、保険の3事業については「ユニバーサルサービス」として義務付けること。
ところで、郵政事業の歴史を繙(ひもと)くと、1871年(明治4年)に、官営による郵便事業がはじまる。この近代郵便事業の展開は、「郵便制度の父」と呼ばれる、2代目駅逓頭(えきていのかみ)・前島密(ひそか)によって行われた。
初代駅逓頭(初代郵政大臣)は、私の故郷・広川町の偉人、「稲むらの火」で有名な浜口梧陵であるが、ご存知の人は少ないと思う。浜口は、前島とすぐに交代しており、在任はわずか20日間であった。
浜口があまりにも早く解任された理由として、「郵便は、江戸時代に飛脚屋が行ってきた仕事であるから、将来は民間の経営に委ねたほうがいい」と主張したためといわれている。
その後、郵便貯金、簡易保険事業が加わり、郵政事業は、130年余にわたって国営事業として営まれてきた。
長い年月を経て、いま再び浜口梧陵が志向したように、郵政事業は民営によって行われることとなった。
全国どこでも身近に利用できる窓口を維持して利用者の利便性を図りつつ、健全な郵政事業の発展を図るために一刻も早い郵政民営化法の改正を実現しなければならないと心に誓っている。
(和歌山新報2012/2/28より転載)
- 2012/02/27 硲弘一さんのこと - Mon, 27 Feb 2012
- 先週末の 東京から和歌山への帰り、新大阪駅で乗換の特急を待っていて、ばったり、硲(さこ)弘一さんに会った。4〜5年ぶりではなかろうか。電車で隣同士に座り、和歌山までの1時間タップリ話をすることができた。
硲さんは私の地元・有田の出身、というより今でも有田に住んでいてパソコン教室を全国展開していて、自ら全国を飛び回っている実業家である。年齢は私より5歳下で、高校の後輩でもあり、何より私は彼ら夫婦の仲人なのである。
結婚の時、お母さんが「弘坊(弘一さんのこと)は一人っ子だから、今日からこの子の兄貴になってやって」といわれ、頼りない兄貴役を引き受けているのである。
一番気になっていたことは、仕事がうまくいっているかということである。パソコン教室ブームは終わったのではないかと思い、おそるおそる聞いてみると、そうではなく年々着実に業績を伸ばしているとのこと。
「パソコンを使いたい人は一通り教室に行ったんじゃないの?」と聞くと、意外にも、団塊の世代が多く教室に来ているらしい。「定年退職してしばらくブラブラしていても、すぐに働きたくなる。給料は安くてもいいからと職を探しに行くが、ほとんどの職場では簡単でもコンピュータが使えないと採用されないことが多い。退職前は課長・部長で自分でパソコンを使わない人も多かったようだが、今になって真剣に勉強している」という。
国から再就職のための教育訓練に補助金が出ていることを紹介したこともあったが、彼の教室では一度も受け入れてないという。
彼は「補助金をもらって勉強にくる生徒は真剣さがない。自分で授業料を払って勉強するから覚える。補助金であることをいいことに業者も、生徒もうまくやっていますよ。福祉の世界でも、ボランティアの中には公金を使ってうまくやっている連中もいっぱいいるよ。制度には必ず抜け穴があり、そこに多くの要領のいい連中が群がっている」という。
最後に「僕が忙しく全国の教室を回っているのは、『国を支えて、国を頼らず』の精神で生きる人々を育てるためです。独立自尊の精神で崩壊した日本を再生する新芽を育成します」といっていた。
BUNチャン先生として、仲間にも生徒にも絶大な信頼を集めるカリスマ経営者のにこやかな表情は自信に満ちあふれていた。
BUNチャン先生頑張れ!日本のために!
- 2011/12/20 孤立から”支え合い”へ - Tue, 20 Dec 2011
- 年末恒例の行事となった今年の漢字に「絆」が選ばれた。二位以下が「災」「震」「波」と災害関連の言葉が続く中で、「絆」が一位となった。
「絆」をはじめ、上位十位の中には「助」「協」「支」という言葉がランクインしているが、これらの言葉は、日本の将来の社会のあるべき方向性を示していると思う。
元大阪大学総長の鷲田清一氏は、「かつては自分たちで担っていた生きるための算段が、明治以降は国家が全面的に担い、戦後は『会社』が家族生活の領域まで担うようになった。(略)近代化というのは、かつてそうした地縁・血縁が担っていたことを行政や会社に付託することで、しがらみから解放されることでもあった」と書いている。
子育てや介護など、従来、家族が負ってきたものが行政にサービスとして求められるようになった。
隣近所・親戚・家族のしがらみから解放された反面、コミュニティーは崩壊してきた。家族の生活する場所もバラバラになり、私たちの家庭からは、“団らん”という何とも言えない温かい雰囲気が薄れた。各人が、周りのことを気にせず、自己の目的に向かって走っているように思える。
それが、3・11を境に、大きく変わろうとしているのかもしれない。
未曾有の津波被害の中にあって極限の悲しみに耐え、避難所生活でも秩序を乱すことなく行動する被災者の姿に、世界は感動の声をあげた。
東京などでも、震災当日から翌朝にかけての交通機関のマヒや混乱の中の「計画停電」にも冷静に対応し、社会秩序が乱れることはなかった。
世界が賞賛したのは、こうした状況下で、他の国で見られるような略奪や暴動を起こさず、相互に助け合っている日本人の姿であった。
人と人との絆や互いに助け合うことが、社会の強さだと再認識された。
自然災害に対する不安、科学技術神話に対する不信、人生の先行きに対する不安など、今まで私たちが日ごろ何となく見過ごしてきた課題が、一挙に噴き出してきているように思う。
私たちはここで、今一度立ち止り、今後の日本のありようをじっくり考える時にあるのではないかと考える。
現在、「社会保障と税の一体改革」の議論が進もうとしている。政府・民主党は、年内に素案を示すとしているが、財政的な観点から、増税や負担増の話が先行している。
地域や職場、家庭での人間的な「つながり」が薄れ、暴力、虐待、いじめなどが起こり、自殺、ひきこもり、不登校、うつ病などが問題となっている。
昨年末、公明党はこれらの問題も含めた「新しい福祉」へ対応する社会保障制度の見直しを提案した。
われわれは、公的保険制度を通じての「間接的共助」だけでなく、ボランティア活動も含め、グループや個人で助け合う「直接的共助」が重要であると考えている。
新しい福祉に対応するには、単に行政サービスを提供すればよいということではなく、“社会の絆”や“人間の絆”を取り戻すことが、求められている。
「孤立社会」から「支え合いの社会」へ回復させる社会保障改革となるよう取り組んでまいりたい。
(和歌山新報2011/12/20より転載)
- 2011/12/4 友人のリーダーシップに脱帽 - Mon, 05 Dec 2011
- 今年の9月に紀伊半島を襲った台風12号で被災された日高川流域の皆さんに、その後の様子を伺いに行ってきた。
はじめに、自宅が床上浸水の被害にあい、更にミカン畑も水害にあった西泰海(親戚ではありません)さんを訪ねたところ、家族で倉庫の片付けをしていた。
地域の皆さんのお世話に忙しく、自分のことが後回しになっているらしい。水害当初から積極的に地域の皆さんの先頭に立って復旧に当たってこられていただけに、片付けが遅れていることも、変に納得した。
それでも畑に案内してくれながら、いろいろ話をした。水害で堆積した泥の除去ができるようになったこと。この集落の畑が西さんの努力の甲斐あって、農業をやめる人と規模拡大をしたい人との交渉も進んでいること。念願の川幅を広げるため、堤防を畑の方に移すことを地権者全員が同意し、数キロメートルにわたる堤防の築堤工事が始まること。――次々とうれしい話が飛び出した。
水害直後に飛んでいった時に、要望されたことはすぐに県や町に伝えたが、西さんのリーダーシップで、この地区では一つひとつ実現しつつあることに喜びでいっぱいになった。
他の地区の皆さんにも同じように要望されたが、残念ながら他の地区の畑は、復旧方針がまとまらないために、まだミカンの枝に流れてきたゴミが引っかかったままで、無残な姿をさらしていた。
ひとりのリーダーが出現するかどうかで、これだけ復旧のスピードが違うのか、あらためて思い知らされた。
毎年、党の国対部屋においしいミカンが山盛りに並ぶが、このミカンこそ西さんの丹誠込めた自慢のみかん。少し小さいため、初めは躊躇するひともいるが、いったん口に入れるとその甘さは格別。
「いつもより少し大きいけど、今年も美味しいミカンができてるよ」と奥さんの明るい声が響いた。
- 2011/11/17 TPP集中質疑に臨んで - Thu, 17 Nov 2011
- 11月11日に衆議院予算委員会のTPPに関する集中審議で質問に立った。
12日には総理がハワイで開催されるAPEC首脳会議に出発するというスケジュールが公になり、そこで日本がTPPに参加することを発表する予定、といわれる中で衆議院の予算委員会集中審議は早くから設定されていた。
私も国対委員長に早くから質問に立つように言われていてプレッシャーを感じていた。
しかし、連日にわたる民主党の議論にもかかわらず党の態度が決まらないために、総理はTPP参加に対する態度をなかなか明らかにしない。
少なくとも委員会の前日には総理の意思表示があると思ったが、この日も党の結論が出ず、結局両論併記となったため、総理も衆参の予算委員会集中審議終了後に結論を出すことになってしまった。
従って、この日は総理のTPP参加の意思が不明確なままで質問に立たざるを得なくなってしまった。
私は、公明党は貿易自由化は進めるべきとの立場に立った上で、今すぐにTPPに参加することは拙速という立場で総理の考えを質した。
TPPは様々な分野に多大な影響を及ぼすと考えられるが、政府は国民に明確な説明責任が果たされていない。さらに、日本の目指すべき道筋はどうあるべきか。しっかり検証すべきだと。また、今参加するのが一番いいのかなど、様々な質問を繰り出したが総理はじめ各大臣からは全く的確な答弁はなかった。
総理がTPPに参加するかしないかの結論を出さずに臨んだ委員会では、当然の結果であるが‥。
総理は「アジアの成長を取り込む」と言っているが、それはアメリカの言うセリフであって、日本の言うセリフではないのではないかと質した。その後、APEC首脳会議でカナダとメキシコが相次いでTPP参加を表明し、アメリカ大陸側がアジアの成長市場を取り込む構図であることが浮き彫りとなってきた。
各論に入る時間はなかったが、農業において「例外なき関税撤廃」をあくまで死守するのかという基本的な問いに対しても、確信に満ちた答弁は聞かれなかった。
この時期をいい機会と捉えて、国会でも経済連携協定について議論をする場所として調査会か特別委員会を作ることを提案したいと発言しところ、委員会でもいい感触であったが、質問が終わってから、多くの議員から賛同の声を聞くことができた。
質問している間も、委員の皆さんから応援の声が上がって、質問にも力が入った。
政府内でも、十分議論がなされていないにもかかわらず、結論だけを急いだ結果、APECの首脳会談でも十分な成果を挙げるどころか、アメリカの術中にはまったとの懸念が持ち上がっている。
今後、国会においても充実した議論がなされなければならない。
- 2011/11/11 同級生はいつまでたってもいいな~ - Fri, 11 Nov 2011
- 11月6~7日、徳島大学工学部化学工学科3期生(昭和42年度入学)の同級会が、香川県に入った引田町の山の中腹にあるゴルフ場に建つホテルで開催された。
このクラス(40人)には、私を含め3人が和歌山から進学した。今回の同級会には、和歌山からの一人、辻君と一緒に和歌山港からフェリーに乗って出かけた。出発前に家内から「辻さんは政治好きだから寝かせてくれないよ」と言われていたが、案の定、徳島に着くまでの2時間、質問責めにあった。
さて、同級会のメンバーは、夕方4時に徳島駅前に集合。いつもの顔ぶれだが20名と恩師の森吉孝、富田太平両先生を交えて、バスで一路ホテルに向かって出発。
徳島大学の前を通ると、「昔あそこにプールがあったよねー。○○君、夜になると忍び込んで風呂代わりに使ってたんだよ」と、びっくりするような話しが飛び出したり、途中でディスカウントの酒屋にバスを付けて、幹事が酒とつまみを買い込んだり、貧乏でいたずらな学生時代に戻ったような気分であった。
大浴場での風呂のあとは夕食、一人一人の近況報告のあと、お二人の恩師の、人生に対する示唆に富んだアドバイスを頂いたり時間の経つのも忘れるひとときであった。部屋に帰っても、みんな一部屋に集まってワイワイガヤガヤ、持ち込んだビールとつまみで夜のふけるのも忘れてしまうほどであった。
うれしかったのは、H君が私に「西はえらいなー。何回同級会に来ても、公明党支持を押し付けず、寄付も募らず、目立つこともなく、毎回途中までしかいられなくても必ず来るからなー」と。
私が「そうしたい気持ちはあるけど、みんな分かってくれてると思う。ここへ来たら、みんな同じ昔の仲間で十分じゃないか」と言うとうなづいてくれた。
別れて部屋に戻っても政治談義は止むことなく、床についたのは結局2時を回っていた。
翌日は午後から本会議が予定されていたので、今回も朝8時に一人ホテルを出発して、タクシーで徳島空港に向かった。鳴門の海岸線を走っているとき、突然学生時代の出来事がよみがえってきた。
「このあたりに交番はありませんか?」と運転手さんに聞くと「もうすぐ左手に見えてきますよ。何か用ですか?」と。「いえ」と言いながら眺めていると、すぐに小さな交番が目の前を過ぎていった。
大学院生の時に、私は中古の軽自動車を手に入れていた。雨の日にはエンジンがかからないという代物である。ある日、夜中に高松から一人で運転して帰る途中、民家の途絶えたこの海岸でエンストを起こした。困り果てたが、交番の前を通過したことを思い出し、歩いて戻って親切な巡査にガソリンを分けていただいて無事、徳島市の下宿までたどり着いたことを思い出したのである。
第二の故郷、徳島の懐かしい思い出を胸に、新たな決意で羽田空港への便に乗った。
- 2011/11/5 津波祭をいつまでも - Sat, 05 Nov 2011
- 和歌山県有田郡広川町の津波祭りに参加した。広川町は私の故郷である。
津波祭りは、安政元年11月5日に起こった大津波から住民を救い、私財を投げ打って広村堤防を築いた浜口梧陵翁に感謝し、遺徳を偲ぶ行事である。明治36年に第1回が開催され、以来毎年開催されて今年で109回を迎える。
今年は6月に「津波対策推進法」が成立し、その中で「津波防災の日」が安政の大地震(大津波)が起こった11月5日と制定された。つまり、この小さいながらも109年にわたって連綿と続いてきた行事の趣旨が、法律化されたのである。
津波祭の特徴は、祭りの主役は小中学生だということである。広小学校、耐久中学校の全生徒100人余りが制服を着て参加する。
はじめに神事が行われた後、主催者の町長が挨拶し、来賓の挨拶と続くが、全て子供たちに向かって話しかける。今年は知事も来られ、盛大な式となった。私も挨拶させていただいた。
私は「明治36年から109回も続いているのは浜口梧陵翁に対する感謝の気持ちを次の世代に連綿と伝える仕組みが津波祭(稲村の火祭にも)あるからだと思う」と”感謝”と”伝承”大切さを訴えた。
多くの来賓が挨拶したので、式典は50分ほどかかったが、生徒は一言の私語もなく、聞き入っていたのが印象的であった。
午後には和歌山県主催の「津波防災の日制定記念 稲村の火シンポジウム」があり、関西大学教授の河田惠昭先生の講演をお聞きした。
講演後、「数年前、稲村の火祭に神戸の女性が数人で参加されていました。たいまつを持って歩きながら、『神戸にはもうあの地震を教訓にしようという運動はありません。広の人は立派ですね』とおっしゃっていました」と申し上げると、河田先生は「祭が大事なんです。大切なことを後世に伝え、実践するための祭りを全国に広げていきたい」と情熱的に語って下さった。河田先生のおっしゃる「祭り」が全国に広まることを期待している。
私の心の中の祭りも生涯その火を消さずに開催しようと誓った。
- 2011/10/28 暗きものを明るくするのは友情 - Fri, 28 Oct 2011
- 夕刻5時に、山口代表、山本かなえ参議院議員と在日本トルコ大使館に、地震のお見舞いに行った。
今月23日、トルコ東部のワンで起こった地震はマグニチュード7.2で、本日現在の死者は570人、負傷者は2555人に達している。一刻も早い救出と、復旧を祈らずにはいられない。
トルコ大使館は渋谷区神宮前の道路から両側にマンションを挟んだ急な坂を20メートルほど下った所にある。道路際と坂道を下りきった所に頑丈な扉があるのは、大使館ならではという感じである。
建物は白い大理石作りの明るい雰囲気で、中央の広場を囲んでグルッと大使館の建物がとり囲んでいた。
山口代表の到着を待っている時に小学生の女の子が、ランドセルを背負って坂道を降りてきたので、住まいもあるのかも知れない。
応対していただいたバトゥ・ケスメン参事官は、背が高くがっしりした体格で、ヒゲ剃りあとか青々とした色白の青年で、終始にこやかに会話は進んだ。
山口代表のお見舞いの言葉の中に、エルトゥールル号の遭難した和歌山県の地元議員として私を紹介していただいた。
トルコの軍艦エルトゥールル号の遭難事件とは明治23年9月16日、トルコ皇帝が日本に派遣した軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町大島沖で台風により遭難し、587名が死亡したが、地元住民の危険を承知の救出作業により69名が助かった史実のことである。
その地には立派な「殉難将士忠霊碑」が建立され、毎年行事が行われている。もちろん串本町とトルコとの交流も大変親密に重ねられている。
話がそれたが、その後話題が東日本大震災や台風12号におけるトルコの皆さんの熱心な支援に及び、参事官からは今回のトルコの地震に際して日本全体はもちろん、和歌山県からすでに1000万円の義援金をいただき感謝していると話された。
私からは「和歌山の私たちは、エルトゥールル号の事件に対するトルコの皆さんの変わらない感謝の気持ちを一番よく知っています。日本とトルコは遠く放れていますが、隣の国のような親しみを感じています」と申し上げた。
参事官は「トルコのことわざに〈暗いものを明るくするのは友情だ〉というのがある。つらい時に励ましてくれるのが友情。感謝の気持ちをいつまでも持ち続けることが大切ですね」と話しかけていただいた。
私の地元、広川町の「津波祭り」も150年前(江戸時代末期)の浜口梧陵翁が津波から町民を救ったことに感謝して100年以上続いている。
感謝の気持ちをいつまでも忘れないことは、たやすいように思うが、時代の流れの早い薄っぺらな価値観の時代にあって、自分が、家族が、日本という国が、長きにわたって感謝すべき事柄は何なのか。
そこに個人、家族、国家の心根の深さがあると思う。
- 2011/10/21 ふるさと自慢 - Fri, 21 Oct 2011
- 私の心は今日は朝からウキウキしていた。
44歳まで住んでいた津木から、広川町立津木中学校3年生の生徒5名と校長先生たちが修学旅行で国会を訪問される日だから。
ご一行が到着する前に、新しくできた参観者の集合場所で待っていた。
定刻前に元気な姿が見えた。校長先生が一人一人を紹介してくれたが、お父さんの名前や家の場所を聞くとみんなわかる。
5人の中で1人だけ、20キロ以上離れた有田市からお母さんの母校に通ってきている女の子もいた。
それにしても少なくなったものだ。私が中学生の頃の1割に満たない。でも、みんな純朴で素直ないい子ばかりである。大きな志を持って成長してもらいたい。
私は自分が育った津木の地がどこの地より好きだ。
私のワイシャツの胸ポケットにカードケースが入っているが、その中に1枚のメモが折りたたんで差し込まれている。
今も、思い出して取りだしているのだが、そこには自筆で「津木自慢」とタイトルが書かれ、13項目の自慢が挙げられている。
例えば、津木中学校ホタル研究日本一、津木小学校に有馬元文部大臣の額、学習机生産日本一などである。
黒竹(くろちく・官邸の周りに植えている黒くて細い竹、地元の人が中国から持ってきて広めた)生産日本一?やシシトウ生産県下一などさまざまである。
中には古い地層の化石が出るとか熊野古道の要衝など我田引水みたいな内容もあるが、これでもかと引き出した項目なのである。
多く挙げればそれだけ郷土に対する愛着心が増すこと請け合い。
地域再生のカギはここにあるとある地元学の本に書いていたが、至言である。「地域と自分を知り、地域の個性や特徴を把握していること、したがって自分や地域に自信をもっていることが必要です」とある。
津木の地の端から端まで、あらゆる資源(いいところ)を生かし、魅力ある農村に生まれ変われる日をいつも夢見ている。
